2/28/2021

ウェルの誕生日

 


我が家の最長老はいまやウェルである。


ソフィ、ルースが年齢が近かったから、短期間に交代があり、ちょうど2年前、2019年2月20日未明にルースとバトンタッチしてから、やんちゃ軍団の抑え役として立派に勤めを果たしている。



そんなウェルは1月3日生まれ。
今年15歳になった。


午後3時過ぎの暖かい時間に、お誕生日スペシャル散歩と銘打って、山の方へみんなで歩きに行った。
どこまで歩くかはウェル次第のつもりだったが、足を傷めてもいけないから無理しなくていいよと声をかけても、結局山奥までついてきた。

倒木なんかも、跳び越えたり、くぐったりと若者と同じペースで歩く。

折り返し地点でご機嫌
エボニー乱入
ウ『ムッ』

調子がいいからと無理をして、あとから関節が痛くなったりしてはいけないとわざとゆっくり歩いてみても、ウェルが先に行ってしまい、こちらを心配して戻ってこさせることになる始末である。


結局、1時間半くらい歩き回って、大満足で家に帰った誕生日。


ほとんどの場合、私は犬猫の誕生日を忘れていて、思い出しても「おめでとう」と言って撫でるくらいなのだが、さすがに15歳でこんなに元気でいてくれるウェルちゃんには心底感謝の気持ちでいっぱいである。




晩ご飯は特別に、アローカナ鶏の卵をトッピングしてお誕生日仕様にした。



おめでとう、そしてなにより、こんなに元気でいてくれて本当にありがとう、ウェルちゃん。



でも、私は知っている。
老いというのは突然にやってきて急速に進むと。
そして、本犬にとってはそれが幸せなことなのだと。

今はこんなに元気で、走れるしジャンプもできる、手羽先だってバリバリ食べるウェルだが、きっとある日を境に急によろめき始めたり、食欲が落ちたり、といった変化が現れ、ろうそくが燃え尽きるようにスッと逝ってしまうのだろう。
いや、そうあってほしい、ウェルのためには。

ソフィやホープは、長くは苦しまなかったが、病気で逝った。
ルースは、老衰で星が流れるように逝った。

ルースが逝く3週間前
水を飲むルと順番待ちのウ

どうであっても飼い主の寂しさは変わらないが、できることならルースのように天命いっぱいまで使い切ってほしいと、願う毎日である。





と書いてアップしないまま2ヶ月ほど過ぎた。
この数日、ウェルは食欲が落ちている。
山散歩に同行しても、2ヶ月前のようにずっとついてこようとはしない。
その他は元気で、後ずさりだってできるのだが、明らかに衰えてきたようだ。

実は今週初めに、犬並みに懐いていたアローカナ鶏のシロちゃんを失ったばかり。

腹水が溜まって室内療養していたシロちゃん
左はウェル

昨年9月におむすびを失い、その後別れが続いていて、大黒柱の名に恥じない飼い主でいるには、私は少し心が弱り過ぎている。

そんな私のために、今は、もう少し元気でいてほしいのだが。
わがままを聞いてはくれんかね。

ソウネエ
神様ト相談ダネ




1/10/2021

謹賀新年




2021年になりました。

昨年は個人的に忙しい年でした。

ブログも動画も全然できませんでしたが、今年はもっとアップしたいなあ。

まずは、年が改まったご挨拶まで。

今年はおせちもかつてない簡素版
正月当直だったので
お屠蘇は見るだけで飲めず


丑年ですが、さすがに牛は我が家にはいないので同じウシ科のめえ太に挨拶をしてもらいましょう。

今年も良い年になりますように。



4/25/2020

愚弟に言ったこと



愚弟はただいま大阪で一人暮らし。

ときどき、食材のみならずできあがったおかずなどを母が送っていました。

新型コロナウイルス感染症のことがあって、宅配便を受け取る際の注意点を動画にして送ったのですが、それを見た母が、多少は誰かの役に立つかも知れないからぜひ出すように、としきりと言うのでアップすることにしました。
大量の海老フライは冷凍して送る


とはいっても、
 「さあさあ、これをお手本にどうぞ」
という動画ではありません。

大雑把な愚弟が”味噌も糞も一緒”にしないためにいっちょ注意しといたろ、と語っている内容です。
なので、私の話も大雑把です。

参考程度に見てもらえたらちょうどいいくらいです。
愚弟は大阪の保護猫一家の世話も一人でしている
(里親募集中です)


とは言っても、公開する以上は見苦しくないように最低限の編集はしました。
多少の粗相はご容赦のほど。




新型コロナウイルスは、恐るるに足らずという人も(医療関係者にすら)います。
しかしこのウイルスは今のところ、まだ分からないことだらけです。
だから私は、「分からない事が多いときは最悪を想定した方がいい」と思っています。

しかし、感染症というのは理論的に考えれば意外と防御ができるものです。
そして人間の体も、まったく無防備というわけではありません。
大丈夫なこととそうでないことを、”心”ではなく”頭”で区別しながら生活すれば、疲弊するほど神経質になる必要はないとも思っています。



4/19/2020

とある救急要請






病院と救急隊とは、保護されたネットワークで繋がっていて、救急車に収容された患者さんの情報『傷病者観察票』がオンラインで確認できる。


・・・なんだか分かりづらい書き方になったが、要するに、地域の救急車が収容した患者さんの状態が、病院のパソコンから見られるのである。
ソレハ便利


先日、そのパソコンを看護師さん達と一緒に見ていたとき。
妙に空白の多い観察票が目に止まった。

枠外に走り書きのメモがあり、高齢男性が道で倒れているという。
通りかかった人が通報したようだ。



救急隊員は患者さんを病院に搬入するまでの間に、最大限に情報を集める努力をしてくれる。
それが迅速で正確な診断・治療の助けになるからだ。

だから、普通『傷病者観察票』は、現在の患者さんの状態はもちろん、これまでの病気や家族からの情報、何度も計測した血圧や脈拍など、びっしりと書き込まれているものだ。
ホウホウ


その観察票は、患者さんの年齢・氏名といった個人情報はおろか、意識状態も体の状態もなにも書かれていなかった。

普段なら
 「○○時〜気分不良、○分後から嘔吐×回、前日から云々」
 「家族が帰宅すると倒れていた、呼びかけに反応無し、云々」
などと深刻な病状が細かく記載されている欄はこうなっていた。

さらに”訴え”、すなわち一番つらい症状を書く欄は
風に吹かれながら気持ちよく道端で寝転んでいるところへ救急車がサイレンを鳴らしてやってきて、男性もさぞやびっくりしたことだろう。



この朝、私も家を出て目を見張った。
前日は豪雨だったが朝からきれいに晴れ上がり、強い風が吹いている。
朝日を受けるめえ太の目

普段はPM2.5で黄色くかすむ山々がくっきりと鮮やかに見え、さざ波の立った田んぼの水面は銀色に輝いていた。

畦で作業している老夫婦のシルエットを横目に見ながら、写真に収められたらと願ったがいかんせん運転中だ。
途中で停車して大急ぎで一枚だけ撮った

昔、もっと自然が豊かだった頃はこれが当たり前だったのか。
昔の人も、当たり前とは思わずその度に感動したのだろうか。

などと考えながら出勤した、その午前中の話である。



だから、この観察票を見て、
 「分かる、分かる」
と自然に頬が緩んだ。

長年生きてきても、山の緑に心を動かさずにいられない人がいる。
ためらわずすぐ救急車を呼んでくれる人もいる。

救急隊は念のため脈など診た上で引き上げたようだ。

救急処置室で、看護師さん達と何度も読み返しては幸せな気分で笑った。
疲れた心もふんわり和らいだ。





4/10/2020

越冬さなぎ









昨年9月のある日。





一匹の青虫が、我が家の網戸の枠をさなぎの場所に選んだ。
9月21日

気づいたらもう動かなくなっていたので、移動させるわけにもいかず、そこで見守ることにした。
9月22日

調べると10日ほどで羽化するとのことだったが、もう秋だ。
大丈夫なのかと思っていたら、いつまで経っても羽化しない。
どうやら「越冬さなぎ」というのがあるらしく、春までこのままのようなのだ。

そうして、毎日幾度となくさなぎを見ながらの生活が始まった。



雨戸を下ろすと当たってしまうので、大嵐の日も、ひどく冷え込む日も、ガラス一枚で過ごした。

2月末頃、上の方の糸が切れて逆さまになっていたことがあった。

もうダメなんじゃないかと思ったが、調べてみると意外と大丈夫らしい。
もとの角度になんとか修復



リボンでふんわり支えられて、さなぎはついに春を迎えた。



めったにないことだが今月8日水曜日、私は午前中だけ休みを取って家にいた。

ふと見ると、さなぎの色が少し変わっている。
お腹の辺りもなんだかむっちりしたようだ。

羽化が近いのかもと思い、出てきたときに絡まりそうなクモの糸をそっと取り除いてやっていると、元気に動いた。

調べているときに「さなぎが動く」というのを知ったので、おお、これが!と感動した。
知らないままだったら、中に寄生虫がいるから動いたんじゃないかと思っただろう。

 「出かけるまでに羽化したらいいのにねえ」
 「うーん、ちょっと難しいかなあ」

母と話しながら朝食を食べ、庭仕事を少ししようと外へ出たら、
私の掛け布団

デッキの柵にかけて干したときにしっかり止めていなかったせいで、めえ太が引っ張り落とし、それをエボニーが引っかけたか何かで、アニュー小屋のそばに寄ってしまったらしい。
満足げ

それを片づけるのに時間がかかり、さらに他に気になっていた掃除に少し時間がかかって3時間ほどして家に入ってさなぎを見ると、

文字通りもぬけの殻になっていた。

 「羽化してる!」
 「見届けられなかった、どんな蝶になったんだろう」
 「その辺飛んでないかな」

見回すと、デッキのすみでバタバタしている見事な大きな黒いアゲハ蝶に気づいた。
間違いない、羽化した子だ。


まだうまく飛べないらしく、ほこりの上でジタバタしている。
犬に踏まれそうだし、なんだか焦っているようなのでもう少し葉陰などで休ませてやろうと思い指を出すと、夢中で登ってきた。

まっすぐこちらに向かってどんどん腕を登ってくる蝶の顔を正面から見ていると、なんだかうちの犬や猫が私を頼ってしがみついてくる姿を見ているような感覚になった。

蝶が、それも羽化したての蝶がこちらを認識して寄ってくるはずもなく、たんにつかまりやすい服の上を、なるべく上の方へ行こうとしただけなのは分かっているのだが。
抜け殻の方はこんな感じ

好きにさせてやりたかったが、そういうわけにもいかないので、鉢植えにとまらせた。

少し観察したところ、左の羽の端がほんの少し曲がっている。

羽自体はきれいに広がっているように見えたが、まだ全然飛べないようだ。
あと、デッキの上ではひっくり返り続けて、きちんと歩けない。
少し不安になった。

あるだけの花鉢をそばに置き、いつでも蜜が吸えるようにした。
ナガサキアゲハの雄・・・なのかな?


昼になったので出勤した。

職場で空き時間に調べ、4時間経っても飛べなければ羽化不全の可能性が高いということを知った。
母も頻繁に見に行ってくれたが、飛びもせず、蜜も吸う様子はないとの知らせだった。

夕方帰宅すると、蝶は自然の中でよく見かけるように、葉陰で羽を畳んでじっと休んでいた。

夜、母とどうしてやるのが一番いいか話し合った。

犬やヤギに踏まれない、花のある場所に移動させてやろうか。
あの蝶はきっともう飛べない。
飛べない蝶は生きられない。

7ヶ月近くも朝に夕に、デッキに出入りするたびに目にし、寄生虫にやられていないか毎日気にかけて見守ってきたさなぎに愛情が湧かないわけがない。

7ヶ月近くもの間、台風も寒い冬も耐えてようやく羽を得て飛び立とうとした蝶の、何もできずに死ぬさまなど見たくない。

けれど、見ないように目をそむけるのはもっとしたくないと思った。



翌朝、どうしようか悩みつつ様子を見に行くと、まだ葉陰で休んでいた。

昼は暖かいが、朝夕は冷え込む。
もう少し気温が上がらねば動けないだろう。
ひょっとして、今日は飛ぶかもしれない。

そのままにして出勤した。


夕方帰宅して母に聞くと、朝のうちに行方不明になったという。

鉢植えから離れてデッキでバタバタしていたので、花のところにのせてやろうと手に持っていた洗濯物を急いで干して戻ると、もう姿がなかったとのことだった。



うちのデッキは、だいぶ傷んでいてところどころ穴が開いている。
蝶がいた辺りにも穴があり、そこから落ちた可能性が高かった。

その時には私はもう蝶が生き延びられないだろうと覚悟ができていたが、草も生えていない湿ったかび臭い床下で一生を終えるなど、いくらなんでも酷すぎると思った。

暗くなり始めていたので、ライトで照らしつつデッキの穴や隙間から床下をできる限り探したが、見える範囲に蝶はいなかった。

柵があるのでデッキの外へ出るのは難しいだろうと思ったが、できるだけのことはしようと庭へ降りてデッキ周囲の地面を探すことにした。


うっかり自分が踏まないよう気をつけて見ながらゆっくり一歩足を下ろした、そのすぐ脇に蝶はいた。

暖かくなって伸びてきた雑草の陰に、羽をひろげ、静かにとまって休んでいた。
そっと触角に触れてみると静かに身じろぎする。
良かった、生きている。
4月9日 夕方

わずかに柵の下の隙間が広いところから這ってデッキの外へ出たのだろう。
雑草の上を歩いてここまで来たに違いない。

地面すれすれの高さで、夜気で体が冷えそうな場所だった。
デッキの花鉢に戻してやろうかと考えて、気づいた。


もがいているうちにたまたまかもしれないが、蝶はデッキから、外の世界に出た。
そして、わずか50cmほどの距離だが、自分で草の上を歩き、自分で良いと思う場所を選び、そこを休む場所にしたのだ。
それこそ、この蝶の生ではないか。

私などが手を出すべきではない、厳かともいえるものを感じた。


きっと、ここが蝶が最後に過ごす場所になるだろう。
周りにはまだ花もない。
羽化してまる一日半経つ。


夜半になって急に風が強くなった。
外であれこれがぶつかり合って物音を立てている。
しかし蝶のいる場所は、デッキから降りるスロープと、雑草の厚い壁に囲まれて風をしのげているはずだ。



翌朝、つまり今朝。
朝一番に、蝶を見に行った。
蝶はまだ同じ場所に、羽を広げたまま止まっていた。

しかし、その足はもう草をつかんでいなかった。
引っかかっているだけだ。

蝶の体のわずかな重みで、少し傾きかかっていた。
黒く艶のある背中に朝日が暖かく当たっている。

このぬくもりを、感じることはできたのだろうか。
もしや、今もわずかに命の火が残っていて、感じているのだろうか。


そして気づいた。
朝一番に、お日さまの光が当たる場所に蝶はとまっていた。

昨日も一昨日も飛べなかったが、今日は太陽に暖められて飛べるかもしれない。

蝶は、安らかに休める場所、死に場所を選んだのではないのだ。
希望に満ちた場所を選んだのだ。
矢印のところに蝶



私たちは、さなぎが無事に冬を越してくれて嬉しかった。

無事に羽化し、漆黒の見事な大きなアゲハになったのを見て、なぜか誇らしい気持ちになった。
元気に空へ飛び立ち、短くても充実した一生を送って欲しいと思った。

だから、飛べないことを知ってかわいそうで胸が痛んだ。


だが違うのだ。

飛んだり子孫を残したりといった「目的」が果たせたかどうかが大事なのではない。

卵から青虫になり、さなぎになり、蝶になった。
そして、2日ちかくの間、懸命に生きた。
それだけで、蝶の命は輝いていたのだ。

それを、教えられた。



なきがらは土に埋めず、そのままにすることにした。
野鳥が食べるのか、アリが分解するのか、そのまま土に還るのか分からないが、土に埋めるのは違う気がした。

亡骸であるのに、蝶の姿はまぶしかった。
朝日のせいだけではないだろう。